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17歳の少年が起こしたバスハイジャック事件!犯人の生い立ちや動機は?[西鉄バスジャック事件]


【実話】刃渡り40cmの牛刀を持った鬱病の少年。バスの乗客20人を...刺す刺す刺す。


2000年5月3日に起こった17歳の少年によるバスハイジャック。

当時17歳という若さでこの事件が引き起こされたことによって世間は騒然となりました。

今回は、バスハイジャック事件の概要・犯人やその生い立ち、動機について紹介していきます。

バスハイジャック事件について(西鉄事件の概要)

 2000年5月3日12時56分ごろ、佐賀第二合同庁舎(佐賀県佐賀市)発西鉄天神バスセンター(福岡県福岡市中央区)行きの西日本鉄道の高速バス「わかくす号」(西鉄バス佐賀営業所所属車両、登録番号:佐賀22き ・258、車番8544、型番はU-RU2FTAB、1991年(平成3年)式)は、定刻通りに佐賀第二合同庁舎を出発した。西鉄天神バスセンターには14時6分に到着する予定であった。


 ところが発車後の13時35分ごろ、九州自動車道太宰府インターチェンジ付近で刃渡り約40センチの牛刀を持った少年が運転手に牛刀を突きつけ乗客に対し「天神には行くな、このバスを乗っ取ります」「おまえたちの行き先は天神じゃない。地獄だ」と言いながらバスを乗っ取った。少年は西鉄天神バスセンターに行かずに九州自動車道をしばらく走行するように運転手を脅し、乗客に対して様々な指示を繰り返した後、最後にカーテンを閉めるように指示。その後、山口県の山陽自動車道に達するまでに乗客3人を切りつけ、2人が負傷して女性1人が死亡した。日本のバスジャック事件において人質が死亡した初めての事件となった。
西鉄バスジャック事件 - Wikipedia


17歳少年が刃渡り約40cmの牛刀を持ってバスを乗っ取っています。
乗客を切りつけ、うち1名の方が命を落としておられます。

 バスは、九州自動車道から関門橋および中国自動車道に入った。この時点では山口県警に事件は周知されており、高速道路交通警察隊がバスを追尾していた。警察が追尾を開始していた頃、山口県の小郡インターチェンジ付近で走行中のバスから高速道路に飛び降りて負傷している乗客を警察が発見し、乗客1名を救出。この乗客の証言によって、警察はバスで負傷者の発生を把握することとなった。バスは山口ジャンクションから山陽自動車道に入り、下松市の下松サービスエリア付近では警察車両に行く手を阻まれ、減速したバスから身を乗り出した乗客1人が、警察に救出された。この頃にはマスコミ各社も事件の報道を開始しており、この男性乗客が救出される瞬間はテレビでも中継された。警察は山口県での解決を断念して封鎖を解除し、バスを広島方向へ走らせた。その直後、犯人の少年は逃げた乗客の「見せしめ」として、さらなる凶行に及んだ。バスは広島県に入り、広島市安佐南区武田山トンネル付近で男性客全員を解放した後、東広島市の奥屋パーキングエリアに入り数時間停車した。ここで警察の説得によって犯人は差し入れを提供するという条件で負傷した人質3人を解放したが、うち1人は既に失血死していた。膠着状態が続いた後、バスは再び動き出して隣の小谷サービスエリアまで行き、ここでも長い膠着状態となった。ここで広島県警は、食料や簡易トイレ、毛布などを乗客に差し入れた。少年の家族も説得のために現場に到着したが、少年はこれに応じることを拒否した。バスが停車中の小谷サービスエリア近くでは、福岡県警と大阪府警の特殊部隊 (SAT) によって、突入任務を帯びた機動隊員と機動捜査隊員に速成の訓練ならびに図上演習が施されていた。

 事件発生から15時間半後の4日午前5時すぎ、小谷サービスエリアで停車中に警察官による説得中に「手袋を路面に落とす」という突入の合図を受けた15名の隊員の突入により、少年は逮捕された。この突入で機動隊員1名が、少年に左足を切り付けられて負傷した。この様子はテレビで生中継された。
西鉄バスジャック事件 - Wikipedia

ハイジャックされたバスは佐賀県広島県まで移動しています。
最後はテレビでも中継され、騒然となった突入のシーンが衝撃的でした。

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TVアサヒ トリハダスクープ


バスジャック事件の犯人の生い立ち(少年A)

昭和58年3月 佐賀 生まれ 

共働きの両親と活発で社交的な妹との4人家族。

父親はサラリーマンで、学校のPTA活動にも積極的に参加するタイプ。
母親は、保健婦としてフルタイムで働いていた。
妹は、少年と正反対の自己肯定感あふれるタイプ。


少年は、小中学校と成績が優秀であった。

しかしそれは、本人の努力と言えば努力だが
劣等感から逃れるための努力ともいえた。

小さいときから運動が苦手であった。
体格も小さく、幼稚園・小学校では、大きい子に囲まれるような環境であった。

小学校中学年くらいから、同級生にからかわれたりするようになり

運動ではどうにもならず
勉強面で、自分の優越感を出すために
打ち込むようになっていった。

自分が上に立つことで、人を見下していた部分があったようである。


中学3年から、また下降気味になっていき
それに比例して劣等感が強くなってきた。

とはいえ、学年ではトップクラスの成績。
しかし、希望よりワンランク下の学校を受験したことは
プライドが高い少年にとっては、かなり屈辱的なことであった。


いじめ(と少年は受け止めている)から大怪我を負い
高校に入学しても、コルセットをつけながら
通学していたことが、面倒でもあり苦痛でもあった。

からだが思うようにならず、学校も休みがちになり

休めば休むほど、勉強がわからなくなるという
悪循環におちいるようになっていった。


そのまま不登校となり、自主退学。
そうならざるを得ない精神状態であったのだろうと推測はできる。


引きこもりがひどくなり、部屋に鍵をかけるようになる頃、
母親と妹に対しての家庭内暴力がひどくなる。

これは、いままで鬱積していたものが
「暴力」と言う形であらわれたのであろうが


母親は、それを受け止めるよりも
外部に助けを求める方に動いた。

病院や警察に相談をしていったのだが、それが少年の苛立ちを助長させた。


ここで、母親が少年を受け止める力があったのなら
また違う結果になったかもしれない。

しかし、受け止めることは、そう容易でないことも現実としてある。


唯一、父親だけが少年と向きあおうと懸命になっていた。
夜にドライブにさそい、なんとか少年を外の世界にだそうと働きかけていた。


少年をドライブに誘い出すことによって、
せめてその時間だけは母親と妹が安心して家にいられる時間を持つことができるからと
のちに父親は言っていた。


このことは少年にとっては、ささやかな「光」となる。

なんどか誘われるうちに、今度は自分から


ドライブをしたい


と、父親を誘うようになる。
ある時は京都、もっと遠くの名古屋まで、日帰りで行くこともあった。

少年は、小さいときに言えなかったわがままを
ここぞとばかりに、まるで親をためすかのように言い続けた。

そして、父親はそれを可能な限り受け入れて行き、少年に向き合い続けた。



バスジャックで通ったルートは、父親とドライブをしたルートと
全く同じである。少年は、父親との思い出の道を走ろうとしたのである。

そして、乗客には「自分の宝物」といって
高速道路の領収書を見せびらかす。


それは、父親とドライブした時の領収書であった。


父親とのドライブの時期があったから、その時は
多少なりとも犯行をしないでいられる状況だったともいえる。


しかし、ドライブで出かけている間に
鍵をあけて母親が部屋に入り
犯行声明文のようなものを発見してしまう。


ナイフも購入していることが分かり、少年の心はどうにもならない状態のようであった。

警察や精神科医が介入し、精神科病棟への措置入院となった。


このことで、少年のこころは再び閉ざされてしまった。

両親に裏切らたと、激高している。

それとともに
自分がされたいじめを放置していた学校にたいしても怒りを膨らませていた。


このあたりから、彼のなかで
具体的な計画が立てられ始めた。

精神科医師をだまして、外出にこぎつける。
その後、決行すると決断した。




精神鑑定の結果、

解離性同一性障害と診断され

統合失調症を発病する恐れも無視できないとの診断であった。
西鉄バスジャック事件【ネオむぎ茶】 - NAVER まとめ


小・中と学業優秀だったという。
しかし、人との関わりが苦手で、高校を退学。
その後、精神科病院へと入院をしています。

犯行に至った動機は?

動機

少年は中学校でいじめに遭遇、家庭内暴力で家族を悩ませた。親が学校にいじめの相談をするが、当の学校や教育委員会はいじめの事実を認めなかった。高校受験が目前に迫った1998年1月、クラスメイトたちの挑発を受けて、踊り場から飛び降りるも着地に失敗して重傷を負い入院。病室で佐賀県立致遠館高等学校を受験して合格したが、入学後、校風が合わないという理由ですぐに中退してしまった。

不登校となった少年は、親にパソコンをねだり、2ちゃんねるに寝食を忘れるほど熱中、家庭内暴力がますます悪化していく。危険を感じた親が警察や精神科病院に相談するも、事件を起こさない限り対処できないと双方から断られてしまう。そこで最後の頼みの綱として、頻繁にテレビに出演して著書を出している精神科医町沢静夫に連絡を取って相談。町沢は親にも少年にも一切面会しなかったが、親からの要請を受けて2000年3月5日、佐賀県警と国立肥前療養所に電話。肥前療養所はすぐに少年の医療保護入院を許可し、即日入院となった。

国立肥前療養所に入院が決定した時、少年は親に絶対許さないと発言していたが、実際に入院すると、医療スタッフや他の入院患者たちにも礼儀正しく、家庭内暴力で家族を悩ませていたとは思えないほどしっかりしていた。やがて、少年と親と医者と話し合いの上で、少年の外出許可が出る。病院に帰ってから、愛知県で少年が老夫婦を殺傷する豊川市主婦殺人事件を知り、少年は手記にこの少年犯を褒め称え、自分も早く彼のようになりたいと書く。この手記の内容をまったく知らなかった医者は、少年の外泊許可を出す。帰宅した少年は当初、自分がいじめを受けていた母校の中学校において無差別殺人を行う予定だったが、ゴールデンウィークで休校だったため、バスジャックを実行した。

事件後、町沢はマスコミや著書を通じて、少年や親を擁護する一方、国立肥前療養所を批判した。これを受けて、肥前療養所の記者会見では院長が、少年に一度も面会せずにテレビや雑誌で肥前療養所に対する批判を述べていた町沢に対して「こういう態度は臨床医としてあるまじき行動であり、町沢に怒り心頭に発している」と述べた(後日、町沢の態度が精神科関連の学会や家庭内暴力関連の団体から厳しく批判された)。
2000年、『論座』7月号から10月号にかけて、事件の対応について矢幡洋と論戦を繰り広げ、町沢は矢幡に論破された。
ネオ麦茶事件 - Yourpedia

事件後の社会的影響・模倣犯の登場

 この事件は、1997年に発生した神戸連続児童殺傷事件に次いで、「1990年代以降の日本の少年犯罪凶悪化を象徴する事件である」と言う人もいる(神戸事件の犯人と同学年でもある)。また、この事件の直前には愛知県豊川市で17歳の少年が面識のない主婦を殺害する豊川市主婦殺人事件が起こっており、両事件の「犯人が17歳」という共通点をマスコミが過度に強調して「キレる17歳」という言葉が世間で流布され、17歳(あるいは10代)の人に対する社会的偏見を惹起した。また犯人の世代から「理由なき犯罪世代」と呼ばれることもあった。

 なお、谷口誠一は1997年の神戸事件の犯人を崇拝し、3月に「酒鬼薔薇聖斗」と署名した犯行予告を各所に送っていた。またバスジャック直前に発生した同年代の少年による豊川市事件については事件直前の手記で人殺しをした少年を賛美する記述をしている。

「すばらしい!! しかも僕と同い年の17歳とか……? よい風潮だ。40ヵ所も刺した時の快感はどうだった!?
 僕も今日実行する。なんか運命的なものを君とは感じるよ。年も一緒、学校では優等生……ハハハ」
ネオ麦茶事件 - Yourpedia

この事件あるいはハンドルネームを模倣した事件が幾つか起きている。

・2001年に2ちゃんねるで「ネオむぎ酒(※麦酒)」と名乗る人物がYOSAKOIソーラン祭りを妨害する犯罪予告を書き込み、恐喝容疑で17歳の少年が補導された。

・2002年11月に2ちゃんねるで「ネオ烏龍茶」と名乗る人物が小田急電鉄に対する爆破予告2ちゃんねるに書き込み、威力業務妨害容疑で無職で24歳の男が逮捕され、2003年6月に東京地裁で執行猶予付きの有罪判決となった。

・2001年1月14日、京都市営バス(路線バス)でカッターナイフで乗客・運転手を脅して乗っ取るバスジャック事件が発生。大山崎町を走行している事を不審に思った対向車(マイカー)のドライバー(阪急バス社員)が通報・追跡し、茨木市内で逮捕・解決した。

・2008年7月16日、豊田市東名高速道路上り線走行中の東名ハイウェイバスJR東海バス運行)車内で、果物ナイフで運転手を脅して乗っ取る「愛知バスジャック事件」が発生。銃刀法違反容疑などで逮捕された容疑者は山口県在住で家出をしていた中学2年生の少年だった。同少年は母から西鉄バスジャック事件について聞いていることを供述した。

ネオ麦茶事件 - Yourpedia


「キレる17歳」として、若者の犯罪・暴力事件がクローズアップされるようになりました。

事件後のバス事業者の対策

 日本バス協会ではこの事件を機に、バスジャックに対する統一対応マニュアルを作成し、各種の緊急連絡体制の整備を決めた。バス車両にも、各種のバスジャック対策装備品の装着が進められている。ハザードランプの高速点滅や車両後部に設けた非常灯の点灯、行先表示に「SOS」「緊急事態発生」などと表示できるよう、方向幕から電光表示に変え、車内の異常事態を車外から察知できるようにした事が挙げられる。バスジャック保険も整備された。

 西鉄では独自の対策として、ヘリコプターでの追跡時に上空から車両を特定できるよう、屋根上に車両番号を表示するようになった。その後、他にも追随した事業者がある(但し、西武グループの高速・観光バスでは前総帥の堤義明がヘリコプターで視察する目的で1980年代には導入している)。ほかにも、車外への脱出が容易にできるよう一般路線バスについてそれまでの逆T字窓からT字窓への仕様変更をした。
ネオ麦茶事件 - Yourpedia


バスジャックに対するマニュアルの作成やバスの窓の形を変えるなど
それぞれの事業所が工夫をされています。

おわりに


17歳の少年が起こしたバスジャック事件は当時の社会に大きな影響を与えました。

このような事件が話題になるのではなく、

平和なニュースが広がる世の中がいいですね。

本日もありがとうございました。


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