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「実在」白い悪魔と恐れられた凄腕スナイパー!ゴルゴのような腕をもつ「シモ・ヘイへ」


【実話】1人で500人以上を倒した伝説のスナイパー『シモ・ヘイへ』【白い死神】

スナイパーといえばアフガン戦争の映画で有名になった方がおられましたね。

アメリカン・スナイパー(吹替版)

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  • 発売日: 2015/06/10
  • メディア: Prime Video

そんなゴルゴみたいな人本当にいるの?
と思われる方も多いと思います。

戦争といえばマシンガンや戦闘機で戦っているイメージも強いと思います。
実際映画ではそんなシーンがほとんどですからね。


そんななかで今回は実在した伝説のスナイパー「シモ・ヘイへ」について紹介していきます。

シモ・ヘイへの生い立ち

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現在のロシアとの国境近くに位置する小さな町ラウトヤルヴィで生まれる。軍人になる前は猟師兼農民として働いていた。20歳の頃に民兵組織「白衛軍」に加入。射撃の大会にもたびたび参加し、彼の家にはその腕前によって得た多くのトロフィーが飾られていた。農家での仕事の昼休憩の際、他の男性陣は昼寝をするのだが、ヘイヘだけは昼寝をせずあらかじめ森の端につけておいた目標をめがけ建物の窓から空砲で狙撃練習を繰り返し行った。全員が起きてくるまで撃ち続けていた。
シモ・ヘイヘ - Wikipedia

軍人になる前は、一般的な農民でした。
しかし、射撃についてはひたすら練習を重ねており、
そのころからすでに一流のスナイパーとして鍛錬を重ねていたようです。

使用していた銃の長さは120cm

狙撃においては、フィンランドが独立後、旧宗主国ロシア帝国が開発したモシン・ナガンM1891を土台に改良したモシン・ナガンM28を使用していた。ヘイヘは身長約152cmと小柄であったが、120cm以上あるこの銃を手足のように自由に扱ったと言われる。
シモ・ヘイヘ - Wikipedia

小柄な体格ながら、身長の8割ほどの長さの銃をいとも簡単に操っていたという凄さ。
学校のほうきの長さぐらいのものを使っていたということですね。

ヘイへの伝説その1


命中率はなんと、ほぼ100%!

ヘイヘの狙撃は連続的な射撃と精度を両立していたと言われ、狙撃訓練課程では150mの距離から1分間に16発の射的に成功したという逸話が残されている。実戦でも、300m以内ならほぼ確実に敵兵の頭部を狙撃したという。最長で450m以上の距離から敵を狙撃したことがある。ヘイヘは猟においても戦地においても当たる確証を持った時にのみ射撃を行ったため的中率はほぼ100%といえる。
シモ・ヘイヘ - Wikipedia

正確な命中率!
しかもそのほとんどが恐ろしさ!
それだけではなく、速射にも優れているという非の打ち所がないスナイパー!
味方に兵士からは味方でよかった、と思われるほどの凄さです。

ヘイへの伝説その2

スコープを使わずに射撃!

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ヘイヘはスコープを使用せず、銃身に付いた鉄製の照星と照門のみで狙撃を行った。これは、猟師時代からの射撃姿勢への慣れと装備の軽量化に加え、スコープのレンズによる光の反射で位置を悟られるのを嫌ったことによる。実際にヘイヘは一日中相手軍を見張り、相手のスコープが反射したことにより気づき撃退した話もある。
シモ・ヘイヘ - Wikipedia

スナイパーのイメージとしては、スコープでじっくり狙って狙撃!
と思われている方も多いでしょう。
しかし、ヘイへは卓越した技術とスコープの光の反射による敵兵への気づきを嫌い狙撃をしていたのです。

ヘイへの伝説その3

1人で500人以上を狙撃する世界記録の戦果!

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公式確認戦果の542人は世界最多記録として知られるが、このなかには狙撃銃以外の火器による殺害数は含まれていない。サブマシンガンの名手でもあり、“殺戮の丘”の戦闘ではKP31サブマシンガンを用いて、記録では200人以上、非公式なものを含めれば狙撃で殺害した542人よりも多くの敵兵士を殺害したと言われている。これらの記録は戦争開始から負傷するまでの約100日間のうちに残されており、1939年のクリスマス直前の12月21日だけでも25人の赤軍兵士を殺害し、クリスマスの夜には通算殺害数が138人に達していたという。
シモ・ヘイヘ - Wikipedia

「殺戮の丘」として恐れられ、200人以上を殺害したヘイへ!
サブマシンガンも容易に扱い、敵兵を震え上がらせました。
このことからヘイへは「白い悪魔」と恐れられるようになります。

ヘイへの伝説その4

不死身の体!

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重大な脅威であるヘイヘを排除するべく、赤軍は大砲による攻撃やカウンタースナイパーの配置などの対策を講じた。終戦1週間前の1940年3月6日に起きた戦闘で赤軍兵士の銃撃により顎を撃ち抜かれる重傷を負う。意識不明の状態で友軍に救出された際、ヘイヘを収容した兵士が「彼の頭は半分なくなっていた」と述べるほど深い傷だったが、一命はとりとめた。病院へ搬送される際、はじめは軍の小舟に仰向けに乗せられていたが出血がひどく窒息の恐れがあったためうつ伏せの状態で運ばれた。コッラーの仲間にはヘイヘの戦死が伝えられ病院で葬式(お別れ会)が行われた。しかし葬式の最中にヘイヘが生きていることがわかったと晩年のインタビューで本人が話している。戦傷から1週間後の3月13日に意識を回復したが、その時は既にモスクワで講和条約が締結され冬戦争が終結していた。ヘイヘは継続戦争への参戦を希望したが度重なる手術により叶わなかった。また、傷が癒えた後も顎には生涯消えない傷痕が残った。
シモ・ヘイヘ - Wikipedia

スナイパーといってもそこは戦場!
500人以上もの兵士を葬ったその腕は敵国からの脅威以外の何物でもありません。
重要人物として狙われ続け、
ついにはヘイへ自身が狙撃され重傷を負っています。
しかし、顔の半分以上が失われたにも関わらず奇跡的に復活!
そこにもヘイへの伝説がありますね。

おわりに

実在した伝説のスナイパー「シモ・ヘイへ
彼が「白い悪魔」と恐れられたのも納得です。

戦争はたくさんの方の命が失われますが、
自分の国を守るため、必死の戦うのも定め。
上司の命令に従っただけ、
という彼の言葉にもあるように戦時中は上司の命令が絶対です。

日本でも、「神風特攻隊」という恐ろしい攻撃が考えられ、
たくさんの方が国を守るために犠牲になりました。

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こんなことがないような世界をただ祈るばかりです。

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